僕らの国の土の色は様々な色でできていた。
ある場所は群青。
またある場所は紅。
山吹・緑・空色・黒・蘇芳......。
あらゆる色で土は作られていた。


......白一つを除いて。


国土に白がなかったわけではない。
誰もそこに近づかなかったのだ。
それは【『白の土地』に入ってはいけない】という国の掟に沿っての行動でもあり、また、そんな風に禁じられている土地に自ら望んで入るという者がいなかったからでもある。その所為か、この国では白は不吉な色であると言われていた。服やコップ、食器、動物の色に至っても白は忌み嫌われていた。
何故白はいけないのか?
その問いに答えられるものはそう多くはない。国の者は、『国の掟』というだけで、特に疑問を持たないからだ。 今まで、この『国の掟』を破った国の者はいない。 それは、実際に掟を破った者がいないわけではなく、『白の土地】に入っていった人々は二度と戻ってこなかった。だから、国籍を剥奪され、この国で罰せられることもなかった。


「ユダ!」
僕は声を荒げた。
遠くに僕の大好きな『白い』髪の友人を見つけたからだ。
「オウ」
その少女はゆっくり振り向いた。僕の名を呼びながら。
「また『白の土地』を見ていたんだね」
「えぇ。私の髪と同じ色のね」
ユダはこの髪の色故に、国でもあまり好かれていなかった。でも、僕はこの光に透けて銀に輝く髪に好感を抱いていた。それに...彼女自身にも。
「ユダくらいだよ。こんなに近くで『白の土地』を見ていられるのは」
「あら、オウだってそうじゃない」
ユダは整った唇に笑みを浮かべ。
「国の人は恐ろしくて近づきもしないのに」
肩までかかる白い髪をかきあげて、立ち上がった。
「帰りましょうか?」
「もういいの?」
「えぇ。もう十分。それに、オウが呼びに来るってことはお母様が呼んでいるのでしょう?」
「バレましたか」
「いつもお母様はオウを使うのだもの。自分が『白の土地』が怖いからって。ごめんなさい。お母様にはよく言っておくから」
「いや、いいんだよ」
正直、こうしてユダに会いにいけるのは僕にとっては喜ばしいことでもあったから。

「でも、何故オウは『白の土地』を恐れないの? 国の人は誰だって嫌いなのよ」
「それは君だってそうじゃないか」
「あら。だって私は白髪を持って生まれたのよ。
『白』を恐れるということは自分自身を恐れるということだわ」
「よくは、わからないんだけど、『白』を恐ろしいとは思わないんだ」
それは、彼女の髪を、彼女を美しいと愛しいと思うからかもしれない。
「オウは『白の土地』の向こう側に行ってしまった人たちと根が似ているのかしらね。 私を置いて向こうに行ってしまわないでよ?」
ユダはクスクスと笑った。こんなに美しくて可愛らしい少女を、何故、国の人は髪の色のみで忌み嫌うのだろう。
ユダが町へと足を踏み入れると、街の雰囲気はガラリと変わる。その雰囲気に合わせてか、ユダはニコリともしなくなる。
「ユダ...」
僕が声を掛けると、ユダは苦笑し、
「ここまで送ってくれて有難う。これから先は一人で行くわ」
と歩いていってしまった。
「ユダ!」
そう声を掛けても、彼女は振り返らなかった。


「まだ、あそこのお嬢様と仲良くしているのかい?」
家に帰ると、母が僕に問うてきた。
「ユダのこと?」
「そう。あの白い髪の...」
「うん、今日も会ってきたんだ」
「...ねぇ、オウ」
「ん?」
「もうあそこのお嬢様と会うのはやめないか」
「なんで?」
「近所の人も心配しているんだよ。お前があのお嬢様と仲良くしているからさ」
「何で。 ユダは良い子だよ。優しいし」
「どんなに優しくたって、あの髪の色じゃねぇ」
「あの白い髪の何処がいけないの。綺麗じゃないか」
「綺麗とは云うけど、私は不気味だよ。一度だって白い髪の子供が生まれてきたのを見たことがないんだ。何かの暗示の気がして...。そもそも、国が禁止している色の髪で生まれてくるなんて...」
母はそう言った。
「髪が何だよ! ユダは良い子なのに、大人がそうやって追い詰めるから。だから、彼女は何時も悲しそうなんだ!」
「......オウ」
母はそう言ったきり、もう何も言わなかった。僕はそんな母を残して、外へと出た。

「オウ」
外に出ると、広場にユダがいた。いつものことだが、周りに人はいない。
「どうしたの? お母さんの用は大丈夫だった?」
「えぇ。たいしたことじゃなかったから」
静かでどこか落ち込んだ声。家で何かあったのだろうと僕は推測した。
「ねぇ、オウ」
「ん?」
「『白の土地』へ行かない?」


僕らはそうして『白の土地』の前にいる。
行くまでは僅かに話などしていたが、『白の土地』に着いた途端、ユダは黙ってしまった。僕もどう声を掛けていいか迷い、結局、声を掛けられずにいた。
「ねぇ...オウ」
「ん?」
そうして、ユダはまた口篭った。
口をぱくぱくと動かし、そして、小さく呟いた。
「私と一緒に『白の土地』に入ってみない?」
「え?」
「一度、入ってみたかったの。そして、そこが悪いところだと解れば、白が忌み嫌われるわけも納得できる気がして...」
彼女の意見は最もだと思った。けれど。
「でも、怖いところかもしれないと思うと、一人では入れなくて。無理は言わないわ。だって、国の掟で禁じられているんですもの」
「......」
深呼吸するユダ。さわさわとその白い髪が揺れる。
「いいよ、行こう」
僕はユダに手を差し伸べた。ユダは躊躇いがちにも僕の手を握った。
そして
ユダと僕は『白の土地』へ足を踏み入れた。




まぶしい...!!




僕はユダを連れて、『白の土地』を出た。僕らの鼓動は早鐘のようだった。

『白の土地』は僕らの知らない世界であって、どこか僕らが夢見ていた世界でもあった。


「大丈夫? ユダ」
興奮冷めやらぬ中、僕は傍らの少女に声を掛けた。
「え、えぇ...」
ユダはそれきり黙ってしまった。
「ごめんなさい。今日は先に帰ってもいいかしら」
しばしの沈黙のあと、ユダはそう言った。
「う、うん」
「ごめんなさい。それじゃあ」
ユダは虚ろな瞳で、どことなくふらふらしながら、町へと歩いていった。
僕はそんなユダの様子を見、不安に思った。それはいつもの彼女の様子とまるっきり違うものだったからだ。彼女はいつでも凛として、いつでも僕にまぶしい笑顔を向けてくれる。「オウ、オウ」と優しい声で語りかけてくれる。
それなのに...。


僕らが『白の土地』へ踏み込んだその日以来、僕はユダと出会わなくなった。広場にいっても、彼女の姿はない。町の中で、ユダに会うことがなくなった。一度、家を訪ねたが「あの子は出かけているの」と言われただけだった。
ユダはどうしているのだろうか。
そう思うと、ユダのあの日の様子を思い出す。
『ごめんなさい。今日は先に帰ってもいいかしら』
ユダは今までそんな風に言うことはなかったのに。あの虚ろだった瞳が何かを訴えていたのでは。
......ユダ。


僕は『白の土地』へ向かった。
そして、そこで『白の土地』を正面に見据えているユダを見た。
「ユダッ...!」
思わず、僕の喉から悲鳴のような叫びが漏れた。
「オウ...」
ユダの目の前、もう半歩先には『白の土地』があった。
「行ってしまうの...?」
僕がそう問うと、ユダは顔を曇らせた。
「私、向こうでしたいことがあるの。それは『白の土地』でなければできないことなの。それを見つけてしまった私には、もうこの色づく土地では生きられないわ」
ユダの瞳はどこまでも真っ直ぐだ。この前の虚ろさは欠片もない。
「したい...こと?」
「そう。きっとオウにも見つけられると思うわ。 ...本当はオウにも来て欲しいのだけれど。これ以上のわがままはいえないわ」
そう言って、ユダは笑った。
「ユ、ユダ...」
「私は行くわ」
白い髪が白によって埋もれていく。先程まで彼女を作っていた全てが、僕の前から消えていく。
「ユダァァ...!」
『白の土地』に足を踏み入れるとはこういうことだったのか。今まで自分だと思っていたものがそうでなくなる。それは誕生であり、同時に死滅でもある。
「さよなら、オウ」
彼女が消えた。
この色づく土地から、彼女のいた証が消えてしまった。
僕は追いかけられなかった。足が動かなかった。
彼女を一人にはしたくなかったのに。


僕は町へ帰った。
ユダの家に向かい、ユダの母に事の経緯を話した。
「...そう」
ユダの母は気落ちしている様子だが、それはユダがいなくなったことに対してでは無いように見えた。
「掟を破りな容姿をして...本当にするのね」
それは明らかに嘲笑だった。
「この前も人の目があるから外出を控えてと言ったばかりなのに」
「あなたも、彼女を髪で判断するんですか」
「判断もなにも...。 事実、あの子は『白の土地』に行ってしまったじゃない」
「それは...」
「私だって、好きであんな娘(こ)を産んだんじゃないわ。夫も私も赤毛よ。何故、白髪の子供が生まれてくるのよ」
ユダの母は深く息をついた。それは溜息の様であり、また、嗚咽の様でもあった。
「何を言うんですか! ユダの髪はとても綺麗じゃないですか! 何故、彼女を産んだあなたがそんなことを...」
「綺麗...? 私はおぞましく思っていたわ。あれは全てを飲み込む色よ」
僕はユダが『白の土地』へ行ってしまったときのことを思い出した。
「あなたもあの子と同じなのね。 『白』を愛しく思えるのだわ」
ユダの母の瞳には、軽蔑が色濃く映っていた。
「...」
沈黙する僕の目の前で、扉は静かに閉められた。


「白髪の少女が消えたらしい」
「あの家のか?」
「そうそう。確か...なんて云ったか」
「ユ、ユ...ユがつくよな」
「【ユダ】だよ」
僕はそう吐き捨てた。談笑していた人々は怪訝そうに僕を見た。
誰も彼もが【ユダ】のことを話していた。名前もわかりやしないのに。彼女が白髪を持つということ以外は、彼女のことを何も知りやしないくせに。


「おかえり」
母が僕に声を掛ける。
「ただいま...」
「あのお嬢様がいなくなったそうじゃないか」
「ユダのこと?」
どっと溜息をついた。またか。
「そう」
「『白の土地』へ行ってしまったんだ...」
僕は悲しくなって、そのまま項垂れた。
「...よかったじゃないか。掟に従えなかったんだよ、あの子は」

従えなかった?

それを言うなら僕もそうだ。
『白の土地』へ足を踏み入れ、憎むべき色を愛しく思っている。

掟とは何だ? 何のための掟だ?

僕ははっとした。ユダがこの世界をどう見ていたか。そして、何故『白の土地』に執着し続けたのか。
『...本当はオウにも来て欲しいのだけれど。これ以上のわがままはいえないわ』
ユダ ユダ ユダ ユダ
涙が溢れた。


僕は広場へ走った。街の人々が変わらぬ日常を過ごしているそこへ。
「何故『白の土地』を恐れるんだ!」
大勢の前で叫ぶ。皆、僕の行動に驚きながらも口々に囁いた。
「国が禁止しているから」
そう言うのが当たり前のように。僕らが両の目、両の腕、両の足を持つのと同様に明らかな事実だとでも言いたげに。
「国が禁止していれば何でも恐れるの? 国によって、僕らの自由が奪われてもいいといいの? 僕らは身の回りのもの、感情、考え方においても国に拘束されているのがわからないの!」
喉が悲鳴を上げた。それでも、僕は必死に声を上げる。僕とユダが気づいた事実を、真実を皆にもわかってほしい。
「『白』は忌むべき恐ろしい色! 『白の土地』は忌むべき恐ろしい地!」
人ごみの中から再び声がする。
「違う。『白』は僕らを受け入れる。『白の土地』は僕らに自由を与えてくれるんだ。この色づく土地で、全てを拘束されていることが当たり前だなんて僕には思えない!」
ざわざわと空気が騒ぐ。否、騒いでいるのは人々だろうか。
「僕は『白の土地』へ入った!」
いよいよざわめきは大きくなる。目の端に母の驚嘆した顔が見えた。
「そこにはひとつの国があったよ。理不尽な掟のない世界だった。誰もが可能性を持っていた。信念なくして上に従おうなんて者はいなかった。 もう一度、聞くよ」

何故『白の土地』を恐れる?

誰も答えなかった。この人たちは『国の掟』以外の答えなんて持ち合わせてはいないんだ。
理不尽な掟に疑問を持たない人間だけが暮らす国。そんな人間だけを受け入れる国。
「この国には縦に首を振る人間しかいない。従うほうも従わせるほうも楽だろうね。でも、僕はもう従わない」
あの白髪の少女は僕に大事なことを教えてくれた。
「気づいて欲しい。今の自分たちはただの人形であることを。そうして、変えて欲しい。この国を」
ねぇ、ユダ。
「僕もこの国を変えたいから」
君を追い詰めてしまった人たちだけど、僕には見捨てることはできないよ。
「力を貸して欲しい」
このままでいいわけないから。

ねぇ、ユダ。
僕はきっとこの国を『白の土地』に負けないくらいの国にするよ。
そうしたら、君を迎えに行ってもいいかな。

あの『白の土地』へ。

        【終】

後書
当時の話はオウが国の人を見捨てて、白の土地に行ってしまうというラストでした。 今、見直して修正してこういう形に。 前のほうが良かったとか云う人はいるんだろうか。 この話、構成も題材も好きだったんですが、あまりにも自分の内に篭り過ぎてしまったのでザクザク削りました。 放って置くと、読み手を置いてけぼりにした作品を書いてしまう所が自分のいけない所ですね。