駅を降りて、徒歩五分。
ビルとビルの間の路地をぬって歩いていくと、目の前に一軒のお店が見える。
『夢売り屋』
そこは、一夜の幻を売るお店。
閑散としていて、人の来る気配は見えない。でも、そのお店はいつもそこに建っている。決して、なくなったりはしない。
そう、人の夢がなくならないのと同じように。

カランカラン
古く雰囲気のあるドアを開けると、中にはカウンターがあるほか、なにやら怪しげな絵やら置物が飾ってあるのみである。
いささか、人を拒絶するような雰囲気をもつ店である。店員はいない。いつも店主がカウンターに座っている。
どうやら、この店には従業員がいないようだ。
「…すいません」
おずおずと小さな少年が入ってきた。古ぼけた服をまとった店主は、薄く笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「あ、あの…」
「当店は夢をお売りします。楽しい夢、悲しい夢、怖い夢…。お客様のご要望どおりの夢をお売りします。
なお、お買いになった夢は他の人に譲ることもできます。その際は、店主に一言お願いします。
 …3回目のご来店ですね」
一通りの口上を済ませた後、店主は人懐こそうな笑みを浮かべた。少年はそれに安心したのか、ゆっくりカウンターへと進んだ。
「楽しい夢をひとつください」
少年は目をきらきらと輝かせながら、カウンターに一枚の五百円玉を置いた。
「…これで足りますか?」
「もちろんですよ」
店主はカウンターの五百円玉をとり、かわりにレシートのようなものを渡した。
「夢をお届けするのは、貴方様でよろしいですか?」
「はいっ!」
少年はその紙を大事そうに握ると、足早に店を出て行った。

「少年が見るはずだったのは…悪夢。  …これはいいお買い物を…」
店主の手の平には黒く濁った珠がふわりと浮いていた。店主が手をかざすと、黒く濁っていたはずの珠が黄色く輝いた。
「貴方に一夜の喜びを…」
黄色い珠は店主の手を離れると、ふわりふわりと空を舞っていった。

カランカラン!
スーツ姿の男が勢いよく店に入ってきた。
「いらっしゃいませ。
 当店は夢をお売りします…「悪夢を売ってくれ!」
男は、店主の口上の途中でけたたましい声でそう言った。よほど何かに憤慨しているのか、息は荒く、様子もせわしない。
「その悪夢をこいつに…いつもどおりだ。こいつに送ってやってくれ!」
男は、カウンターにバンッ!と写真を叩き付けた。そこには、同じくスーツ姿の、眼鏡をかけた男が写っていた。
「あぁ、忌々しい…」
男は爪を噛んだ。
「…この方にとびきりの悪夢をお送りすればいいのですね?」
店主は薄く浮かべた笑みはそのままに、淡々とそう言った。
「そうだそうだ! で、代金はいくらなんだ!」
店主はくすりと微笑んだ。
「十万円では…いかがでしょう?」
「十万! 夢ごときにそんなに払えるか!」
「では、ご注文はキャンセルですか?」
「………」
男は、ぐるぐるとカウンターの側を回った。
「あぁ…もう!」
男は鞄から財布を取り出すと、十万円を取り出し、店主へと渡した。
「有難う御座います」
店主は丁寧にお辞儀をした。
「十万払うからには、それ相応のもの、期待させてもらうぞ」
「えぇ…。お客様のご要望どおりに…」
店主は、また深くお辞儀をした。
「あぁ…煩わしい…!」
男は憎憎しげな顔をしながら、せわしなく店を出て行った。

「…何度目のご来店でしたかね。
 最初は、楽しい夢をご注文されていたのに…」
店主は手の中で、白から漆黒へと染まっていく珠を見ながら呟いた。


カランカラ…ン
躊躇いがちに扉が開く。
そこには、スーツ姿の眼鏡をかけた男がいた。それは、先程の写真の男だった。
よほどのことがあったのか、それとも素なのか、青白い顔をしている。
「いらっしゃいませ。
 当店は夢をお売りします。楽しい夢、悲しい夢、怖い夢…。お客様のご要望どおりの夢をお売りします。
なお、お買いになった夢は他の人に譲ることもできます。その際は、店主に一言お願いします」
店主は一通り、口上を述べた。男はそのあいだ、店の中を見回していた。落ち着かない様子である。
「初めてのご来店ですね」
店主は、人のよさげな優しそうな笑みを浮かべた。
「は、はい…」
眼鏡の男はそれきり黙った。何かを言おうと、口をパクパクさせている。
「今日はどのような夢をご所望ですか?」
「え…あ…。ここでは、本当に夢が買えるんですか?」
「はい、もちろんです」
「あ、あの…僕、最近、すごく夢見が悪くて…。僕には上司がいるんですけど…会社でもその人にすごくいびられて、
 夢でもそんな調子なんです。 …ここ最近では、もっとひどい夢ばかり…。昨日は、ついに夢の中で僕が死んでしまったんです」
さもつらそうに、眼鏡の男は肩を落とした。
「…それはお気の毒に」
店主は視線を床に落とした。
「あ、あの…そういうことで、僕の夢見、よくなりますかね…?」
「十万円…いただければ」
「十万円!」
「そうすれば、お客様の望む夢が得られます」
「で、でも…そんな大金…」
「もし、見た夢がご納得いただけないものでしたら、代金は全額お返しします」
「あ…で、でも…今、そんなに持ってなくて…」
眼鏡の男はまごまごしている。店主はそんな男の様子を見ていたが、
「あぁ、初めてのお客様でしたね。では、特別に割引で千円にいたしましょう。いかがですか…?」
と微笑んだ。
「そ、それならなんとか」
「…では、お買いになりますか?」
「は、はいっ! 有難う御座います!」
眼鏡の男はやりなれている風に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
店主はレシートのような紙を取り出し、男に渡した。
「ほ、本当に有難う御座います! 僕、このままじゃおかしくなってしまいそうで…」
半ば涙目で、眼鏡の男は店主にすがりついた。
「どのような夢にいたしますか?」
声音をぐっと優しくすると、店主は男に問いかけた。
「…あ、幸せな夢を…。できますか?」
「かしこまりました」
店主は胸元に手を当てると、軽くお辞儀をした。
「本当に有難う御座います!」
眼鏡の男は、大きな声でそう言うと、店を出て行った。

「あの方は…何日ぶりに良い夢を見るのでしょうか」 手の平で漆黒だった珠が純白に色を変えていく…。
「とびきりの良い夢を…幸せな夢をお送りしましょう」
店主は口元に薄い笑みを浮かべ、ふわりと浮かぶ珠を愛しそうに見つめた。

ボーンボーンボーン
壁にかけてあった時計が、音を立てた。
「もう、閉店の時間ですね」
店主は外へ行き、『OPEN』の看板を『CROSED』にひっくり返した。
「今宵も各々の夢をお楽しみください。私はここで、貴方をお待ちしています。
 明日も貴方に一夜の幻を…」


【終】