― お前はそのうち知るんだろうな。この行為がどれほど人に忌み嫌われるのか ー
兄さんの放ったこの言葉だけは、ずっと頭にひっかかってはなれない。


贖い



俺の兄は俺が物心つく前に死んだ。この村を襲った流行病でころりと死んでしまったのだという。顔はとんと思い出せないのにこの言葉だけは覚えている。『この行為』の意味さえわからないというのに。

* * *

「そろそろ招神の宴の季節だな。聖(ひじり)、舞の調子はどうなんだ?」
「ぼちぼち」
「まぁ、さして練習せんでもお前ならできるだろう。泰(やす)もそうだった」
「兄さんも!?」
泰とは俺の兄さんのこと。
「……」
この村に生まれた頃からずっと不思議だと思っていたのは、村のヤツも親も意識的に兄の話題を避けているということだった。同じ村人のことを話すのに何で躊躇するんだ。俺の兄は口の端に上らせるのも躊躇うほどに慕われていたのか、あるいは嫌われていたのか。面影さえも思い出せない俺には兄を知るためには彼らを頼るしかないというのに。

* * *

「聖くん。招神の宴…
「舞の調子ならもう聞くな、琳」
「ご、ごめんなさい」
「最近、そればっかりなんだ。もう耳タコ」
目の前で縮こまる少女は琳。所謂、幼馴染というヤツだ。
「でも、去年の聖くんの舞がすごかったからみんな期待してるんだよ」
「余計なお世話だっつの。大体、何だって招神の宴があるんだよ。万物には神が宿る。なのに、この土地には神はいないじゃないか」
「森にいるんだって」
「森? あの村はずれの小さな?」
「う、うん」
「いるんだったら招かれてこいよ。一度だって姿を現したことはないぜ」
「か、神様を侮辱しちゃだめだよ。神様を傷つける行為は一番いけないんだってお母さんが言ってたよ」
「はいはい」
「そ、それに来る来ないの問題じゃないんだよ。神様の恩恵で生きられていることに感謝する気持ちが大事なんだよ」
「万物に神は宿る。だけど、招神の宴は特に恩恵を受けている神を喚ぶ。それが来てないんだぜ? 不特定多数にとりあえず感謝しましょうってことかよ」
「…そ、そういうわけじゃ……でも...」
琳の瞳はいつだって真っ直ぐだ。言葉は濁るくせに、その眼が濁ったことはない。正直、俺はこの瞳が苦手だ。
「…俺、これから舞の練習だから」

* * *

招神の宴とは土地ごとに、恩恵を受けている神を喚んで労うのを目的とした祭だ。毎年秋に行われる。宴のやり方は土地によって違うようだが、俺の村では舞を舞う。齢十五から十八までの村の少年を一人選別し(選ぶ基準は容姿だそうだから喜ぶべきか)、村の奥にある社の前で舞を舞わせる。他の村人は社を囲み、飲めや歌えやの、文字通り『宴会』をするのだ。もちろん舞手が宴に交わるころには、目ぼしいご馳走はほとんど残っちゃいない。非常に損な役回りだ。
とはいえ、俺の舞手人生も今年で終わり。来年からは、たらふくご馳走が食べられるのだから我慢のしがいもあるというものだ。

* * *

おっちゃんの家へと歩いている途中、じとりと粘っこい視線を感じて、俺はそっちのほうを振り返った。村長のばあさんがこっちを睨むように見つめていた。ばあさんとは別に喧嘩をしたというわけじゃない。なのに俺が小さい頃から、ばあさんは俺を睨むように見ていた。きっと嫌われているんだろうと、深く考えたことはなく今まで過ごしてきた。
いつものことかと俺が睨み返すと、
「お前の舞を見るのもこれで最後になって安心だよ」
ばあさんは呟いた後、踵を返した。 本当にどこまでも嫌われてるぜ。

* * *

「おっちゃん、練習しようぜ。練習」
舞は当然伴奏つきだが、代々やる家が決まっている。おっちゃんとは十五の時からの付き合いだ。
「聖か」
「よー」
「待ってろ。今、準備するから。お前も着替えて来い」
舞用の正装に着替え、扇を握ると、不思議と気が締まっていく。
「じゃあ、やるか」


舞を終えた後、
「...お前はどんどん泰に似てくるな」
おっちゃんが呟いた。お、兄さんの話だ。
「じゃあ、兄さんはこんな顔をしてるんだ」
「あぁ」
村の連中とは違って、どうやらおっちゃんは俺の質問に答えてくれそうだ。
「背丈は? 髪型は?」
「泰のことが気になるのか?」
おっちゃんが俺をじっと見詰めてくる。愚問だな。あったりまえじゃん。
「だって誰も教えてくれないんだぜ。俺の実の兄なのに」
そう言う俺におっちゃんは琴を見つめたまま、静かに息を吐いた。
「…泰か。髪の色はお前と同じ漆黒だが、泰の髪は胸まであった。それを一つに束ねていて、お前よりもうんと背が高かったから見栄えがしたな」
「なんだよ」

「剣舞をする姿がたおやかで、招神の宴では誰もが目を奪われていたよ」

…あれ? 今、不思議な単語を聞いたような。

「剣? 兄さんは剣舞だったのか。俺は扇を使ってるのに」
「...たまたまな」
おっちゃんの顔が歪んでいる。もしかして兄さんが剣を使っていたことは村中の秘密とかいうやつだったんだろうか。だから、誰も兄さんについて教えてくれなかったのか?
「剣が使えるなら俺も剣がいいよー」
「聖じゃ危なっかしい」
「そんなことねーよ!」
俺が招神の宴を始めてから、舞に用いた道具は扇だけだ。舞具として装飾を施された剣なんか、この村では見たことない。
「まぁ、やるだけやってみてもいいだろ。その剣、どこにあるんだよ」
重い沈黙が部屋の中を走った。何だってんだ。
「...もう舞の練習は終わった。用がないならとっとと帰るんだ」
「おい!」
それ以上、俺が何を言ってもおっちゃんは振り返らなかった。

* * *

「琳、知ってるかー」
「なあに」
「どうやら招神の宴って昔は剣舞だったみたいだぜ」
誰も詳しくは教えてくれない腹いせに、目の前の琳に話してみる。琳は不思議そうな顔をしている。
「あれ、でも」
「今は扇だよなー。何でだと思う?」
「誰か知ってるんじゃ」
「誰に聞きゃいいんだよ。まただんまりだぜ、きっと」
俺がごちると、琳は困った顔をした。
「でも、舞用の剣なんて見たことないよ」
「いやー、おっちゃんの顔を見る限りあったことだけは確かなんだけどな」

「憎たらしい。剣がなんだっていうんだ」

呟いたにしては、その声は大きく響いた。ばあさんがこっちを見ている。琳がさらに困った顔になって俺とばあさんを交互に見ている。
「ばあさんなら知ってるんだろ。招神の宴で使ってた剣、どこだよ」
「そんなもの知らないね」
するどい視線が突き刺さる。教えてくれる雰囲気じゃなさそうだ。
「聖くん、行こうよ」
「わかった...」

* * *

「俺、何でばあさんに嫌われてるんだろう」
夕食を突っつきながら、誰ともなく問いかけてみる。
「村長様は別にお前のことを嫌ってなんかないよ」
母さんがその呟きに答えた。
「そりゃいくらなんでも嘘だ。ばあさん、俺にだけ態度が冷たいんだ」
「でも、それは...お前のせいじゃ...」
母さんは言葉を濁らせる。
「それ以外に誰のせいだって言うんだよ。今日だって剣舞の剣を見せてくれって言っただけなんだぜ」
母さんの唇が震えた。
「母さんは知ってる? 剣舞用の剣の行方。兄さんは剣舞していたんだろ」
「さぁ、どうだったかね。泰が舞をしていたのはもう随分と前のことだから」
「けど、扇と剣だぜ? いつから扇になったんだよ?」
「本当に覚えてないんだよ」
「...嘘でなくて?」
母さんはゆっくりと頷いた。揃いも揃ってやっぱりだんまりか。兄さんのときといい、こういうことに慣れっこだった俺は、仕方なく夕食を口に運んだ。

* * *

次の日、俺は社に向かうと中を探してみた。もちろん剣を探すためだ。今まで見かけたことはなかったが、もしかしたら見落としって事もあるかもしれない。
けど、剣は見つからなかった。それ以外にも自分の家や倉庫なども探してみたが、結果は同じだった。だんだん舞用の剣なんか初めからこの村にはなかったんじゃないかという気がしてきた。疲れた俺はその辺の茂みに横になり、眠ってしまった。


「お前はそのうち知るんだろうな。この行為がどれほど人に忌み嫌われるのか」
自分よりうんと高いところから、その温かな手は下りてきた。強い力で頭を撫でられる。手の主の顔を見上げるが、姿はぼんやりと滲んでいる。自分の目の先まで伸びた黒髪だけははっきりとしている。
「...俺はもう行くよ。聖は家に戻っておいで」
滲んだ顔が笑顔を作る。自分がその笑顔に安堵を覚えたのを感じた。


「....ゆめ」
眠っていたのか。夢で見上げた顔のように、頭の芯がぼんやりとしている。だけど、あれは夢じゃないな。俺の覚えてる兄さんだ。夢の内容を詳しく思い出そうとしたが、それはあっという間に霧散してしまった。
仕方なく体を起こした俺の目に長い棒が飛び込んできた。 ぼう...ボウ...棒...。
剣舞っても要は舞だよな。俺はその棒を拾い上げる。ったく。出し惜しみせずに貸してくれりゃ良いのに。
俺は棒を剣に見立てて舞い始めた。動きは扇を用いたときのまま、時々、棒を生かした動作を交えて。
「俺にもできるじゃん」
「聖くん?」
いつの間にか脇に琳が立っていた。
「おわ!いつ来たんだよ」
「聖くんが寝ているみたいだったから、寒くなるから起こそうと思って...」
それって結構な間いたってことだよな。何で気づかなかったんだ、俺。
「まぁ、いいや。それよりどーよ。俺にも剣舞はできるとみた!」
「前から練習してたの?」
「いんや。今、即興でやった。ま、もっかい最初からやるから見てろよ」
「うん!」
うまくできたらおっちゃんにも見せてやろう。俺がすげえ剣舞を舞ったら、おっちゃんだって舞わせてくれる気になるかもしれない。


「泰なんかの真似するんじゃない!!!」


背後でしゃがれた怒声が響いた。弾かれたように振り向くとそこにいたのは、ばあさんだった。
「…なんだよ」
泰なんか...? ばあさんは俺だけじゃなく兄さんも嫌いなのか?
「恥知らずめ! お前等兄弟はどうしようもないね!」
「…!?」
兄弟...? つまりばあさんは俺らがセットで嫌いって事か?
激昂したばあさんの顔につられてか、俺の血も頭に向かって集まってくようだ。
「お前の兄の泰も...。あぁ、名前を出すのも汚らわしいよ」
「...っ」
汚らわしい!? その言葉にかっと頭が熱くなるのを感じた。
兄さんは。俺の兄さんはそんな奴のはずない!!
俺を嫌うのは好きにしていい。けど、兄さんが「汚らわしい」と罵倒されるのは許せない。兄さんの舞に村中が見とれてた。それこそが兄さんの本当の姿じゃないのか…!! あの夢みたいに優しいのが俺の兄さんだ!
兄さんをそんな風に言うのはやめろっ!!
「聖くんっ!」
ひゅぅと掠れた吐息が耳についた。目の前には、ばあさんの顔。俺は怒り心頭して、ばあさんに手を上げようとしてしまったらしい。慌てて手を降ろすと、ばあさんは数度深い息を吐いた。
「お前等には神を敬う気持ちがない。だから…」
小声でばあさんは呟いた。俺からは遠くて聞こえない。ばあさんはもう一度、深く息を吐き、家へと戻っていった。俺は後ろの琳に目を向けた。
「止めてくれてありがとな」
「う、ううん」
いつでも正直な瞳が今は俺への微かな恐れと戸惑いを含んでいる。その瞳に弁明するように俺は言った。
「兄さんは何をしたんだ? 兄さんは… 。兄さんは村の連中に慕われてると思ってた…。 違う…のか…?」
琳の答えられずに戸惑っている様子が伝わってきた。俺は苦笑する。
「一度、はっきりさせなきゃなんねぇ。そうでなきゃ、俺は兄さんをどう思っていいのかわからない」

といっても、正直どうしていいかわからず俺は頭を抱えていた。正面きって聞いた所でこの村には答えてくれる人間はいない。連中が口を割りたくなるように、ある程度ゆさぶりをかけるか何か起こせればいいんだが。そうでなきゃ真実を自分で見つけなきゃいけない。
ついに明日は招神の宴。時間がないにも程がある。あぁー!
頭を掻き毟って転げまわって、ふと思った。全部はアレに鍵があるかも。そうだ。招神の宴ってことは、だ。
俺は慌てて外へ駆け出した。

* * *

招神の宴当日。村は宴を控えてばたばたざわざわしていた。年に一度の盛大なご馳走。子供はすっげぇ満面の笑みで宴の始まりを待っている。俺も15まではそうだったなぁ。
「聖くんっ!」
向こうから琳が駆けてくる。一応、祝いの席だからかきちんとした格好をしている。まぁ、可愛いと思わないこともない。
「少し、緊張してる?」
「お。さすが幼馴染だな。 ...少しだけ」
「でも、珍しいね。聖くんって緊張しない方なのに」
「まぁ、今回はな。俺の最後の舞、楽しみにしてろよ」
「? う、うん」
陽が落ちてついに宴が始まった。社を囲んで誰もが思い思いのモンを食ってる。うーらやましー。
最後の舞。もう着修めになるであろう服に袖を通しながらご馳走を睨みつける。
「聖」
「おっちゃん」
「お前とはこれで最後だな。よろしく頼むぞ」
おっちゃんは、珍しく緊張している俺を気遣ってか、幾分か優しく微笑んだ。
「おう」
悪いな、おっちゃん。俺は心の中で小さく謝った。

おっちゃんの演奏が始まると同時に、村は少し静かになった。俺は息を深く吸い、もう慣れた動きをする。扇はひらひらと俺の周りを舞う。と、俺は舞扇を捨てて、懐へと手を入れた。そこでもう一度おっちゃんに謝って、目当ての物を掴み上へと掲げた。
家の物置で眠っていた古い短剣だ。
俺の計画は誰もが嫌な顔をした剣舞をすることだった。あれだけ剣がないだの、知らないだの言われたんだ。これはきっと何かあるに違いない。剣は柄も鞘も錆びて、鉄独特の匂いを放っている。鞘を投げ捨て、刀身を露にする。刀身は手入れの無さを伺わせる鈍い光を放っていた。
(どうせ最後なんだ。なるようになれ)
これはきっと何かのきっかけになる。


正直、きっかけなんてもんじゃなかった。
ぴたりとおっちゃんの演奏が止まった。きたきたと思いながらも、俺は舞を止めなかった。幾度となく、それこそ十五の時からやっているんだ。演奏なんかなくても、体は舞を続けられる。演奏だけじゃない。村の空気も凍りついた。ただ袖口の鈴だけがそれに反して軽やかに鳴り響いた。ぐるりと一回転すると同時に村に目を向けると、顔面蒼白になった両親が見えた。母さんはもしかしたら倒れているのかもしれない。父さんにもたれかかっている。
両親だけじゃない大人は誰も動揺していた。ばあさんもだ。ざまあみろと言いたい所だが、これは想像していたよりも深刻な状況だ。でも、まだ舞うのはやめない。
「ひ、聖...」
絞るような声でおっちゃんが呼んだ。かまうもんか。
「聖!! もうやめろっ!」
おっちゃんの大きな声が響いた。地面に叩きつけた拳がドンッと振動を伝えてきた。子供たちは呆然と社を見上げている。
「お願いだ...やめてくれ」
「...なんでだよ」
舞は止めずに、おっちゃんへ向き直った。おっちゃんは目線を合わせず、何も言わない。
「まただんまりか! いつだってそうじゃないか!!」
俺が声を荒げても、誰も反応しない。沈黙が村を包んでいる。
「ふざけんじゃねぇぞ! 何も話さないくせに兄さんのことばかり悪く言うな!!」
俺は社に剣を投げつけ走った。
「聖くん!」
兄さんは優しかった。わずかな記憶にいる兄さんはいつだって優しかった。


「聖くん! 聖くんっ!!」
俺は村はずれの森の前まで走った。あの社にいるのには堪えられなかったのと、兄さんのことを知るための情報が欲しかったからだ。森の前まで来て、振り返ると俺の後ろには琳がいた。人一倍怖がりなくせに、こんな暗闇の中、俺の後をついてきたようだ。こいつの嘘をつかない瞳は恐怖と不安を色濃く映していた。
「本当に...行くの? 危ないよ」
「だけど!! 村の連中に聞いても埒が明かない。今日を見てわかったろ。森に入ったついでに神がいるかどうか確かめてくる。いやがったら、兄さんについて聞く。本当のことは誰も教えちゃくれないからな」
「...ひじりくん」
「悪いな。俺のこと心配してここまで来てくれたんだよな」
琳の少し下にある頭を撫でた。
「送ってやれねぇけど気をつけて帰れよ」
琳の居心地の悪い視線を背に、俺は森へ入っていった。
* * *
森の中は入り口よりも真っ暗だった。神のいる森だとかで神聖視していただけあって、開拓の様子はまるでない。当然、舗装された道があるわけでもなく、油断すれば足をとられるようなぬかるんだ地面と行く手をさえぎる緑が俺の前に立ちはだかった。脇の木に手をつきながら慎重に進んでいく。この森がどの程度の規模のものなのか、俺はまったく知らない。兄さんのことがなければ、ただの森で片付けていたような場所だ。正直、どう進んでいいのかわからなかった。もしかしたら来た道を戻っているのかもしれない。
見切り発車過ぎた自分を呪いながらも、ここが唯一の手がかりだと自分を叱咤する。
と、目の前に開けた場所が見えた。月明かりでぼんやり照らされている。それまででも、少し息が上がっていた。けど、何かに背中を押されるようにそこへと夢中で走った。


そこで俺が見たのは一振りの剣だった。ちょうどこの空間の真ん中に刺さっている。鞘はなく地面に身のまま突き立てられていた。年月が経っているようにみえるのに刃毀れ一つせず、刀身独特の鋭い光を俺に投げかけている。柄の部分には綺麗な装飾がしてある。もしかして、剣舞の...?
剣に触れようと手を伸ばした。
《...人か...?》
突然、頭の内で声がした。そう表現せざるをえない声だ。耳からではない、額で音を集めているような気分だ。その小さな声の主を探して辺りを見渡した。
《...幾年ぶりか》
もう一度、声が響いた。変わらず、掠れている小さな声だ。
「誰だ!」
辺りを隈なく見ても、生き物の気配は感じない。
《...目の前にいるであろう?》
俺は剣に目を向ける。つまり、こいつが喋っているということか?
「ち、ちょっと待て」
落ち着け、俺。剣は喋らないぞ。
《信じられぬか。無理もない》
小さな笑い声。信じたくはないが、他に生き物はいないんだ。な、何か聞くことは...。そうだ!
  「...お、お前は招神の宴の剣か」
《そうだ。遥か昔、この土地の神が人間へと捧げたものだ》
お、答えた。やっぱりこいつが喋ってるのか? ちょっと信じがたいんだが。
半信半疑のまま、俺はもうひとつ質問を投げかける。
「でも、何で舞用の剣が村じゃなくてここにあるんだ?」
《知らぬ》
う....。 剣は俺の声に被せる様にきっぱりと言った。
「でも、お前が存在するってことはこの土地には神がいたってことだよな。招神の宴に来ないからいないかと思っていたぜ」
《数年前までは確かにいた》
「じゃあ、何で!」
招神の宴の存在を知ってから、ずっと思っていたことだった。何故、俺の村には神が来ない。
《知らぬ。我はただの剣であった》
剣はやっぱりきっぱりと答える。
「喋る剣はただの剣じゃねぇ」
俺がふてくされて、愚痴をこぼすと
《...私は神の血を浴びたのであろう。そうでなくばこの説明がつかぬ》
やれやれというように剣が呟いた。

神の血...?

《神の血を受ける者は、神に相当する圧倒的な力を得る。ただの剣がこうなるほどに、な》
血ってことは...でも...。琳の言葉を思い出す。
「けど、神を傷つける行為は一番いけない...はずだよな」
《そうだ。どのような神であれ、傷つけることは大罪。場合によっては、死してもなお、魂に消えぬ烙印を刻まれることもある。その者は転生しても、どの神の加護も受けられぬ》
そんなリスク誰が犯すってんだ。
「お前が自主的に浴びたわけじゃないんだろ」
《我は剣。そのような芸当が出来ると思うか》
「だよなぁ。覚えてねぇの、何でこうなったのか」
《否、覚えるではない。我に意識はなかった》
三度目のきっぱりに、いよいよ俺は肩を落とした。真実はわかったようなわからないような。でも、糸口は確かにあったような気もする。
「なんだよ。それぐらいわかれよな」
《無茶を言う...》
「ここじゃ、これ以上の情報は無いか。俺はもう行くぜ」
剣は答えなかった。

* * *

わかりそうでわからなくて、うんうん唸りながら帰途に着くと、村の入り口におっちゃんが立っていた。
あのまま宴の席を抜け出したのだ。怒られても無理はない。俺は視線を下に向けた。
「聖、ちょっと来い。話がある」
それだけ言うと、おっちゃんは踵を返して歩いて行った。俺もその後をついておっちゃんの家に入る。
このあとの激を想定して、生唾を飲み込んだ。
「まぁ、着替えろ」
おっちゃんは俺の着物を手渡した。そういえば舞の服のままだ。
「終わったらこっちに座れ。食べ物も用意してある」
妙に重い空気に俺は口も開けず、おずおずと服を着替え始めた。確かに俺は勝手なことしたけど、俺だけが悪い訳じゃないのに...。心の中で小さく悪態をつき、おっちゃんのそばに腰掛けた。どうやら宴のモンをいくつか残してくれていたようで、目の前には美味そうなものが並んでいる。小さく手を合わせ、それをつまむ。
「聖。誰もお前に真実を話そうとしなかった。それでお前があんな行動にでても誰もおまえを責められない」
意外なことにおっちゃんの口から出たのはお咎めの言葉ではなかった。
「おまえの両親には話せないかもしれない。俺がお前に本当のことを話そう」
俺は呆気にとられたが、食べ物をつまむ手は止めない。おっちゃんはそんな俺の様子に苦笑して、話し始めた。

* * *

「数年前の招神の宴は今よりも盛大だった。それはやっぱり神が招かれていたことに依るんだろう」
おっちゃんが教えてくれるという真実は驚きの台詞から始まった。この村には神がいた...? 本当に?
「『何故、今は神がいないのか?』そう聞きたいだろうが、まぁ、ちょっと待ってくれ」
俺はゆっくり頷く。
「神は普段は姿を現さない。ただ...招神の宴の時は社の前に現れた。まばゆい光に包まれて...それは美しい存在だった。誰もが憧れ、招神の宴を楽しみにしていた」
身近に神がいた経験がない俺には、実感の沸かない話だ。

「社での美しい舞。美味いご馳走。招神の宴は夢のような時間だった...。 ただ...」

おっちゃんはそこで黙った。じっと地面を見つめている。

「招神の宴が終わった後...必ず子供が一人死んだ。」

かならず...?
「初めはただの偶然。そう思っていた。村長も気にするなと言っていたしな。だが、毎年毎年必ず子供が死ぬ。
村の連中も怪しみだした。もしかして招神の宴に原因があるんじゃないか、とな。
そんなある招神の宴の時、その疑問は確信へと変わった。子供がな、光に吸い寄せられるようにふらふらと神に近づいていったんだ。神は驚くでもなし、子供に手をかざした。人間と神の交流だと村は和やかな雰囲気になった。 が、その直後、子供は糸が切れたようにその場に倒れたんだ。

...死んでいたよ。

そして、人型をした神が『何か』を咀嚼していた」

俺は思わずおっちゃんの顔を見た。おっちゃんはまだ地面を見つめたままだった。
「けれど村長は招神の宴をやめるとは言わなかった。神の恩恵を得られなくなるのが恐ろしかったんだろう。
 神は若い子供を好んだ。宴の度に村の若い子供らが死ぬ...だが、なおも宴は行われた」
ふと、あのときの俺はどうだったのか考える。俺は...兄の顔も覚えてられないほど幼かったんだ。ぞっと、背筋を寒気が走った。 だけど、そんな俺にひとつの疑問が浮かぶ。

何 故 、 神 は 急 に い な く な っ た ! ?

ずっと宴を続いていた。でも、今は神が来ない。ましてや、子供が死ぬなんてことはない。
と、いうことは神が消えた日がどこかにあるはずなんだ。
《...私は神の血を浴びたのであろう》
剣は何て言った...!? 子供を喰らう神。神の血を浴びた剣。いなくなった兄と神。
埋まっていく真実に手が震えた。目がひどく熱を持っていた。
「まさ...か...」
「聖?」
「にい...さんっ」
しまったと思ったときには遅かった。床にぱたりと水滴が落ちた。
「聖、お前は何を見てきたんだ...?」
兄さんはどんな思いで舞っていたんだ..?  村が喰われる、そのことを知りながら。
小さい小さい弟がいつ自分の傍で喰われてもおかしくない状況で。
「兄さんなら...そうしてもおかしくない...」
兄さんのことは何も知らないのに、それだけは確かに思えた。ばたばたと涙が零れ落ちた。
「聖...」
「兄さんはあの剣で神を殺したんだな...。招神の宴の日に」
おっちゃんは口を開かなかったが、その沈黙が何よりの答えだった。兄さんは本当の意味で村を守るために、大罪を犯した。そうして、村から消された。
けど、ひとつ納得がいかない。
「兄さんは生きて...るのか」
今までの話の中で兄さんが死んだという言葉は出てきていない。よもや、村の人びとがそんな恐ろしいことをやったとも思えない。
「兄さんは死んでないのか...?」
おっちゃんは俺をぼんやり見ながら、首を横に振った。
「生死はわからない。 あの日、泰はそのまま村を追放された」
「そうか」
神殺しは一切の恩恵を受けられない...。神殺しを行ったというなら村中から忌み嫌われても不思議ではない。俺はともかくとしても、神の加護・恩恵を信じ縋る者は多い。神殺しは当人の問題ではなく、それの周りにも罪を撒き散らす。神殺しに関われば、そいつも神という存在から断絶される。だから追放されたんだ。

* * *

あれから何だかぼんやりした気持ちのまま、家へと帰った。親の顔もまともに見ることが出来なくて、さっさと寝床に横になった。今日は酷く疲れたはずなのに、鼓動がやかましくて眠れない。おまけに目はこれでもかと冴えている。扉越しに親の気配を感じた。何があったのか...聞きたいんだろう。だが、今日のことを説明するのは億劫で。だけど、寝るにはうまくいかなくて。
真っ黒な天井をじっと睨みつけていた。

* * *

明るくなった頃合に軽い眠りに落ちたくらいで、俺はほとんど寝ずに昨日を過ごした。寝覚めは最高とはいかないが、寝不足特有のだるさもあまり感じなかった。胸の辺りをもやもやした抑えきれない感情が支配している。何となく苛立たしくて、床を殴りつけた。
「俺は全部知った。兄さんのこと」
起きてすぐに母さんと向かい合い、そう告げた。それ以上の説明をする気にはやっぱりなれない。母さんは一瞬、蒼白になったが、諦めたような笑みを浮かべた。
「そう。そうかい。お前の兄のことだもの。いずれは知らなきゃならないことだと思っていたよ」

「なぁ、母さん...」


* * *

外に出ると、俺を待っていたように琳が飛び出してきた。
「聖くん!」
「昨日は悪かった。ちょうど話があるんだ。向こう、行こうぜ」
琳は少し逡巡した後、ゆっくり首を縦に振った。

琳には全部を話した。急すぎる事実だ。上手く飲み込めていないようで、目を瞬かせている。夜中、ずっと考えて何度か練習もしたのに、本人を前にして上手く言葉が出てこない。琳は俺の話したことを整理しようと勤めている。そんなこいつにまたも衝撃の事実をふっかけるのは気が引けたが、親と...そうこいつにはどうしても言っておきたかった。
「話ってのはまだあるんだ」
真っ直ぐな瞳が混乱を交えて、俺を見上げた。

* * *

「おい」
俺は目の前の剣に声を掛ける。前に見たときと様子は全く変わっていない。
《なんだ》
「俺は全部を知った」
剣は少しの沈黙の後、こう続けた。
《我にとってはどうでもよいことだ。その全部とやらは説明しなくてもよい》
予想通りの反応に自然と口角が上がる。
「そういうつもりでわざわざ足を運んだわけじゃねぇよ。お前、俺と一緒に来い」
この言葉にはさすがの剣殿も驚いたと見える。生憎と表情はわからならないが。
《我を手にするというのか?》
「まぁ、そういうことになるな」
剣の掠れた小さな声は驚嘆の感を帯びている。真剣な声音でこう続ける。
《我は神の血を浴びた呪われし剣。手にすれば神の加護を得られぬぞ》
「神の加護? 感じたこともねぇそれに今更すがるかっての」
剣の言葉がおかしくて思わず笑みがこぼれる。
《......。 ふっ...確かにな》
剣も笑った...んだろう。
「それよりも神殺しの力とやらで兄さんの居場所はわかんないのか。そのためにお前を連れて行こうとしてんだからな」
剣は厳かな声で言う。
《神殺しの禍々しき力、近くならば感じる》
「わかるってことだな」
《期待はするな。我は万能ではない》
「いいのいいの」
地に刺さった剣を引き抜く。ずしりと、今まで感じたことのない重みを腕に感じた。兄さんはこんなもん振り回してたのか...。
《...?》
「俺は兄さんを探しに行く」
《何故だ》
間髪いれずに剣が答えた。何故ってねぇ。
「俺を助けてくれたことへの感謝も兄弟で過ごすことも、俺は何もかもできなかった。だから、兄さんを神殺しの宿命から解放する。んで、今まで出来なかった分、兄弟で過ごす時間を作る」
《理は理。曲げることはできぬぞ》
剣が嘲笑するように言う。
「やってみなきゃわかんねぇよ。
兄さんは理を曲げて俺を助けてくれた。なら、今度は俺が理を曲げて兄さんを助ける」
手の中の剣が小さく笑った。今度は嘲笑じゃない。
《面白い。付き合ってやってもよい》
お、その言葉待ってたぜ。
「ありがとな。じゃ、行こうぜ。もうみんなに別れはすんでんだ」
重たい剣を振り回しながら、俺は歩いていく。またここに戻ってくる日を想いながら。



【終】



あとがきというなのはんせい
書きの間に時間を置いてしまったのがいけないのか、はたまたもとからこうなってしまうものだったのか、何だか納得のいかない感じに...。 この曲で思い浮かんだイメージは泰と聖の苦悩。泰の苦悩にもっとスポットを当てたらよかったのかしら?
兄弟再会編は未定。