「あ、要(かなめ)先輩だ」
太陽が、沈む前の名残のように暖かな日差しを送り込む図書室で隣の友達が声を上げた。私は本を読む手を止め、顔を上げた。
そうして、相変わらず端整な顔立ちだ、と思った。
藤堂要(とうどう かなめ)は文学作品の所で本を手にとっては流し読みをしている。
「やっぱ、かっこいいよね」
この友達は藤堂要に憧れを抱いている。否、恋愛感情だろうか。
藤堂要はその容姿ゆえに全学年を通して、ほぼ半数の人に知られている。
彼が演劇部元部長ということもあるのだろうが。
うちの学校の演劇部は歴史が深く、何度か入賞もしている。
部員の数は多いが、個々にそれなりの演劇力があり、文化祭では体育館を貸しきって講演を行い、近隣の住民の評価も得ている。
その頂点に立っていたのがこの藤堂要だ。
今でも実力で云えば、彼は頂点に君臨している。
そう、藤堂要は抜群に演技が上手い。
他の部分ではそこまで長けているものはないが、演技力に関しては右に出るものがいない。顧問の先生も彼をいたく評価している。
「お願いします」
「は、はいっ!」
友達は慌しく立ち上がり、貸し出しの手続きをする。
運動部でないだけあって、色白のその肌は日焼けとは無縁の白さを誇り、漆黒のその髪はさらさらと顔にかかる。
何となくその顔を見つめていると、涼しげな瞳と目が合った。
藤堂要はやんわりと柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
友達から本を受け取ると、彼は早々と去っていった。
「私、つくづく図書委員でよかったぁって思うの!」
「藤堂要と会えるから?」
「要せ・ん・ぱ・い!」
友達は鼻息を荒くして語る。
私はもう一度、本に目を落とした。
「す〜は本当に本が好きだから図書委員会になったって感じね」
す〜と云うのは私のあだ名だ。澄川未咲(すみかわ みさき)。だから、す〜。
「君は違うの?」
「いや、好きだけど...要先輩がよく図書室に来るって聞いたから...」
彼女は入学してすぐに藤堂要に惹かれたらしい。
その過程については、もう耳にタコができるくらい聞かされた。
「でも、本当に綺麗な顔だよね、要先輩。彼女とかいるんだろうなぁ」
友達が溜息をつき、カウンターにうつぶせる。
「どうかな」
「す〜はそう思わないの?」
「いや、彼女が苦労しそうだなと」
「あぁ、有名だし。いじめとかありそうだもんね。それに、劇の練習で会うのもままならなそう〜。でも、要先輩と付き合えるならそれでもいい!」
私は窓の外に目を向けた。夕日が目に付き刺さる。
そういうことじゃなくて...と言いかけて、やめた。




『〜〜〜〜〜〜!!』
体育館の方から張りのある声が聞こえる。
あ、藤堂要だ。 そういえば、そろそろ定期演劇会の日だ。
さすがにレベルの高い演劇部だけあって、定期演劇会なるものがある。
地元のホールを借りて、劇を披露するのだ。
もう3年である藤堂要は引退したが、その演劇力ゆえ、演劇会に参加し、なおかつメ インの役をやっている。主人公は現部長の氷田倭(ひだ やまと)だ。
氷田も上手いには上手いのだが。
私は少し開いていた扉から体育館の中を覗き込んだ。
数人が舞台の上で台本を片手に声を張り上げている。
熱気が篭っているというか、独特の雰囲気に私は惹き込まれた。
時間を忘れ、しばらく見入っていたのだが
キーンコーンンカーンコーン
昼休み終了のチャイムが鳴り響き、私は慌ててそこから走り去った。




「澄川!」
氷田だ。HRなのをいいことに私の机に小走りで駆けて来る。
私は読みかけの本にしおりをはさんだ。
「何?」
氷田は去年から同じクラスだったからか、時々話し掛けてくる。
「さっき、体育館にいたろ?」
「なんで?」
内心、私はぎくりとした。
「ちらっと入り口見たら、茶色の長い髪が見えましたからね〜」
証拠を突きつける探偵のように、氷田はニヤリとした。
私の髪は遺伝のせいで色素が薄く、黄土色をしている。この色のせいで、何度か先生 に注意されたことがある。
「そんなの誰でもいる」
「ってか、たまに演劇部見てるよな? 興味あるの?」
「見てない」
「頑固だなぁ。入部希望なら歓迎するぜぃ〜」
「うるさい」
私は読書を再開した。
「...お前も部長のこと好きなわけ?」
氷田は自分が部長の癖に、藤堂要のことを『部長』と呼ぶ。
本人いわく、『去年ずっとそう呼んでいたから抜けない』のだそうだ。
「だから、見てないって」
「澄川!」
「興味ない。 ...本読みたいんだけど?」
「ごめん、ごめん。それだけだから。じゃな」
藤堂要はもてる。容姿だけでも人を惹きつけるものがあるから。
それにそこそこ人当たりもよく、優しいらしい。
ページをめくるうちに、読書に没頭し、藤堂要のことは消えていった。




「お願いします」
ぱたり ぱたり ページをめくる音は心地いい。
「あの...すいません」
主人公が推測をはじめ、ある事実に行き当たる。
「すいません!」
バサッ
突然の大きな声に、本が手から落下した。
目線を上げると、藤堂要だ。
この前、借りていった本を手に持っている。
そうだ。今日は友達がいないのだ。虫歯になったので歯医者に行くらしい...。 普段、如何に友達を頼りきっていたかを痛感し、苦笑する。
「貸し出しですか?」
延長の手続きか、とはんこを用意する。
「いえ、返却です」
私は首をかしげる。
「返却ならそこの返却箱に置いていただければ、やっておきます」
それだけ言い、席に座りなおす。
「え..と、いつも当番しているよね」
藤堂要はカウンターを去ることなく、あまつさえ声を掛けてくる。
私は本を拾い上げ、再度目線を上げた。
「好きでしているんです。ここは静かで読書しやすいから」
「そうだね。僕もこの図書室は好きだ」
幾度となく藤堂要が会話をしているのを見たことがあるが、実際に話すのは初めてだ。
「えと...君って演劇に興味あるの?」
「氷田ですか?」
今日、氷田に同じような内容を聞かれたことを思い出した。
氷田は藤堂要に話していたのだろうか?
「氷田? 氷田君は関係ないよ」
藤堂要はいつも柔らかく笑う。
「たまに練習見てない? 君を見かけたのは図書室だけじゃない気がするんだけど」
つくづくこの髪を呪いたいと思った。同時にもう少し周りに注意するべきだったかと 後悔する。
「懐かしかっただけです。中学のとき、演劇部だったので」
「へぇ〜。何で高校で続けなかったの?」
「特に...理由はないです」
じんわりと手が汗ばむ。
「じゃあ、またやらない? きっと楽しいよ」
「今更ですから」
まっすぐな瞳に居心地が悪くなる。私は視線を下に向けた。
「....苦手な人でも..いるとか?」
やっぱり柔らかい笑み。私はじっと凝視した。
「はは、こんなこと言われても『はい、そうです』とは言えないよね」
「...」
「ごめん。 ...本、お願いしますね」
早口でまくし立て、本を置いていくと藤堂要は出て行った。
否定の隙も与えなかった。でも、例え時間があったとしても私は否定できただろうか。
...藤堂要を苦手だと思っているのは本当のことなのだから。

『クスクス。そういえばさ…』 

本を読もうと思ったが、手が震えて上手く読めなかった。