「あの...さ」
「何ですか、部長?」
「図書委員の茶色い髪の子、知り合い?」
「澄川のことですか?」
「あぁ、澄川さんって云うんだ」
「? 澄川となんかあったんですか?」
氷田は幾分か低い声でそう尋ねた。藤堂を訝しげに見つめている。
角度によっては、睨んでいる様にも見える。
「彼女、中学時代は演劇部だったんだって。だから、新入部員にどうかと思って」
「澄川が? そんな話したんですか?」
「この前たまたま図書室でね」
藤堂は微笑んだが、氷田は表情を変えない。
「演技自体が上手いかはわからないんだけど、何度か演劇部見に来ているみたいだから君から誘ってみてくれない?」
氷田は更に疑問の色を濃く滲ませた。
「部長が誘えばいいじゃないですか」
半ば投げやりの様に、その言葉は吐き捨てられた。
「...僕は彼女に好かれていないから。逆効果だよ」
「そうなんですか?」
声に抑揚はなかったが、氷田は藤堂の顔をまっすぐ見つめた。
「彼女はなんとも言わなかったけれど。僕、こういうことには敏感だから」
にこりという擬音が似合いそうな調子で、藤堂は微笑んだ。
氷田もやや表情を緩めて
「わかりました。俺も彼女のことは気になってるんで」
と言った。その台詞に藤堂は笑顔を返しただけだった。




「す〜は定期演劇会行くの?」
「...なんで?」
図書室にはほとんど人が居ず、友達はわりと大きな声で尋ねてきた。
「ある意味、学校の一大イベントじゃない? ほとんどの生徒は行くだろうからさ」
「そんなことないと思う。藤堂要ファンの大半は行くだろうけど。 君もその例に漏れずに行くわけでしょ?」
「うん、そのつもりだけど。それでね...」
友達の下手に出るような姿勢に、嫌な予感がした。
続きを聞かないように目線を逸らす。
「やっぱイヤ?」
目線こそ合わせていないものの、友達がどんな顔をしているか想像はつく。 私はやれやれと溜息をついた。別に見るだけならどうということもない。
当日、氷田にでも会ったりしたら五月蝿そうだが。
「いいよ。行こう」
友達は笑顔になって、抱きついてくる。
「ありがとぉ!す〜、大好き」
「いえいえ」
演劇を見るのは久しぶりだ。中学の時、後半はともかく前半はよく見に行ったりしていた。あの頃は演劇が楽しくて。多彩な演技をできる人を尊敬したりしていた。
その気持ちが消えたわけでもないけど。 ...きっと藤堂要はいい演技をするだろう。




「これ、やるよ」
氷田は私の前に『指定席 B列 67』と書かれたチケットを差し出してきた。
そういえば、うちの定期演劇会には指定席なるものがあることを思い出した。 客席の前から二列目までが指定席で、あとは当たり前だが自由席である。 演劇部員が、家族など身内の人に前のほうで見てもらいたい場合に渡すものである。他にも他校の校長など来賓の先生が座る席でもある。
もっぱら家族よりは恋人に渡されるほうが多い様で、藤堂要からもらえるチケットを期待している女子生徒も多い。しかし、藤堂要が今まで誰か女子生徒にチケットを渡したという話は聞かない。
「来てくれるよな? 指定席のチケットなんてそうそうもらえないぜ」
「......連番でもう一枚欲しい」
氷田は眉をしかめて尋ねる。
「男?」
私はそんな氷田を睨みながら答える。
「友達」
「あ、あの図書委員の子?」
「そう。一緒に行かないって誘われたから。もう一枚」
「おう!いいよいいよ。何枚でももらってくるぜ」
「一枚でいい」
簡素な紙でできたチケットをかばんにしまう。
指定席に座れるとわかったときの友達の笑顔が浮かぶ。私はなんだか嬉しくなった。
「..ありがとう。きっと、友達喜ぶから」
珍しく微笑んでみる。
「いえいえ。澄川は嬉しくないわけ?」
氷田は顔を乗り出してくる。
「...どうでもいい」
私はこれ見よがしに溜息をついた。
「つれないなぁ」
氷田は笑って、私の頭を撫でた。
「そうそう」
「?」
「これを機に演劇部になる気ない?」
「藤堂要に頼まれてきたの? 私、興味ないって言った」
「そういや、何でお前と部長が面識あるんだよ」
「藤堂要が時々本借りにくるから」
氷田はあぁ、そうかと呟いた。
「別に部長に頼まれたからだけじゃないぜ。俺もお前が入ってくれたら嬉しいなって思って...」
「何で?」
私が顔を上げて氷田の顔を見ると、氷田はたじろいだ。
「け、経験者がいた方がいいだろ?」
「そんなの演劇部にはたくさんいる。今更、私が入る理由はない。
 それに、私演技上手くない。2年の後半からほとんど部活行ってないから」
「そうなのか? 澄川って部活とか真面目に行くタイプに見えるのに」
私はずんと気の重くなる心持がした。
「...関係ない」
席を立って、トイレに向かった。 後ろで氷田がなんと言おうが関係ない。 個室に入ると目を瞑り、ふぅと長い息を吐いた。
関係ない。私のことなんか。かまわないでほしい。