「す〜!こっちこっち!!」
友達が私に手を振る。心持小走りで、私は友達のもとへと駆けた。
「探した。結構、たくさん人がいるから」
「ねぇ? きっとここにいるほとんどの子、要先輩のファンだよ!!」
公民館の前には待ち合わせがあるのか、それなりにたくさんの人がいた。
「贔屓目で見すぎ」
「そんなことないって! あ、でも氷田君のファンもいるかもね」
「氷田の?」
あいつのどこがいいのだ、と友達を見つめる。
「知らない? 要先輩ほどじゃないけど、氷田君も人気あるんだよ〜。  顔もいいし、運動もできるしね〜。そんな人からチケットもらえるなんて、 す〜はすごいよ!!マジ感動!す〜が氷田君と仲良くて感謝感謝」
友達は息巻いてしゃべる。
「いえいえ。でも、氷田ね」
「なぁに? 要先輩に続き、微妙な反応ね。演劇部の人は嫌いなの?」
友達の何気なく言った一言に、心臓が跳ね上がる。
静かに深呼吸して、顔を取り繕う。
「そんなとこ」
「ふぅん。 あ、そろそろ行こうか」
友達は大して気にもとめずに、私をホールへと引っ張っていった。
ホールの中ではがやがやと人が騒いでいる。指定席のチケットがある私たちはいいが、 自由席の方ではささやかに座席争いがあるようだ。席を確認しつつ、ずんずん前へと進んでいく。
「わぁ...やっぱり前ってすごいね」
友達は感嘆の溜息をつく。
今は幕が閉まっているが、舞台が始まれば大迫力で舞台が鑑賞できるだろう。 この近さなら間違いなく演技者の顔が見える。
「藤堂要の顔、見れそうだね」
「うん!!やばいやばい!」
聞いているのか、聞いていないのか、どっしりと席に座った友達は熱い眼差しを幕へと送っている。私は鞄の中から本を取り出した。
「す〜はこんなときまで本か!!」
幕を見つめていた友達が呆れて笑う。
「どうせ暇になると思ったから」
しおりを取り、ぱらぱらめくる。
「もうすぐ舞台始まるのに」
「始まったらちゃんと見る」
友達は全くとかなんとか言いながら、また幕に目線を戻した。

ブーーーーーーーーーー

「ほら!始まるよ」
ずいずいと小突かれる感触。
「私のことはいいから。藤堂要をしっかり見る」
「へへ。言われなくても」
鞄に本を閉まって、前を向く。改めてみてもこの席は近い。
バァッと幕が上がり、しっかりとセットされた舞台が目の前に現れる。 この席は、自分もこの舞台の一部のような臨場感がある。 氷田が舞台の中心で、脇に藤堂要がいる。 ちらりと友達の様子を伺うと、さっきあれだけ氷田を褒めていたくせに目線は明らか に藤堂要だ。やれやれ。
『〜〜〜〜〜〜〜!!!』
氷田の一声。いつもの氷田とは大違いだ。まぁ、衣装のせいもあると思うが。
『〜〜〜』
藤堂要が声を上げる。張りのある綺麗な声。 演技は...言うまでもない。 周りの人も劣らない演技力で自分の演技をこなす。 ぞくぞくと背筋が震える。とても懐かしい空気だと思う。
とても...。

ドクンッ

胸が痛み、嫌な汗が染み出してきた。 胸が苦しくて呼吸が浅くなる。心なしか体が震えている気もする。
『澄川さんって....』
思い出すな。心に言い聞かせてみても、一度溢れ出したものは止められない。 ちょっと外の空気を吸ったほうがいいのかもしれない。
「ごめん...。ちょっと外出てくる」
「ん〜。 ! ってす〜!顔真っ青!!」
「し〜。静かに」
「わ、私も行くっ!」
友達は大慌てで鞄を持つ。
「大丈夫。外のロビーにいるから。見ていていい」
ふらふらしながら外に出て、ソファの上に腰をおろす。 友達には一体なんて言い訳すればいいんだろう。ちょっと風邪気味だった。 そう言えばいいか。
さすがに横になるわけにもいかず、頭を下にして、なるべく動かないようにする。 何度かゆっくり呼吸すると、気分の悪さも引いてくる。 思い出していたこともなんとか上手く抑えることができた。
まさか演劇を見ただけで思い出すとは思わなかった。 そんなに深く心に刻まれていたんだろうかと苦笑する。 いくら氷田や藤堂要に誘われても、こんな状況じゃ演劇部なんか入れるわけがない。 どっちにしろ入るつもりはないんだけど。
「す〜!」
聞きなれた響きに私は顔を上げる。
「もう一部、終わった?」
友達が心底心配しているような顔でソファに座った。
「多分、後少し。もう心配で出てきちゃったよ〜」
「...藤堂要を近くで見られるチャンスは?」
「要先輩よりす〜の方が大事だよ!!」
「どうだか」
「もぉ!! そんなことより大丈夫なの?」
「『ちょっと風邪気味だったから』。それだけ。本当に大丈夫」
「全く〜。本ばっか読んで体調管理もしっかりしてないんでしょ!!  この後、二部見れそう?」
そうか。二部か。もう随分体調はよくなったが、また悪くなる保証がないわけではな い。そんなことになって、また友達に迷惑をかけるのは申し訳ない。
「少し自信ない。でも、そうしたら君はどうするの?」
「もち、す〜と一緒に帰るよ」
「勿体無い。私はここで休んでいるから二部見てきて」
「そんなことできないよ」
友達はふるふると首を振る。意外に頑固だ。 どうにかいい解決法はないものか。
「澄川!澄川〜!!」
遠くから衣装そのままの氷田が駆けて来る。
「まじで見に来てくれたんだ!どぉ?俺の演技」
「氷田...君」
友達がおずおず声を掛ける。
「お、澄川の友達だよな。やっほ。澄川がいつもお世話になってます」
仰々しく友達に挨拶する氷田に突っ込みたかったが、生憎そこまでの元気はなかった。
「す〜、具合悪いのに帰らないって言うの。氷田君からも頼んでください」
「なんだよ、澄川。 具合悪いの?」
氷田は私の額に手を当てた。別に熱はないと思うが。
「たいしたことない。私はここで休んでいるから見ていていいって言ってる」
「具合悪いのにこんなとこで休んでちゃだめだろ!」
怒気の含まれた声で言われる。何なんだ、一体。
「あ、そうだ。俺の控え室、和室で結構広いんだ。こんなとこで休むくらいなら  そっち来ないか? 友達もそっちのほうが安心だろ?」
「え? あ、はい!もちろんです」
友達の瞳が輝いている。また、嫌な予感。
「じゃあ、舞台が終わるまでそこで休んでろよ。で、友達はその間舞台を見る。  終わったら控え室に迎えにくればいいよ」
「はい!ありがとうございます!!」
当人をほっておいて、二人の会話は完結した。
「ねぇ!す〜、そうして!そうすれば万事上手く解決よ!!」
私の手を取りぶんぶん振り回す。友達は納得したらしく、とても嬉しそうだ。 イヤだと言っても、他の解決法が思い当たらない。 仕方ないので私は首を縦に振った。




「本当に広いね〜。氷田君だけの控え室じゃないみたいだけど」
控え室に案内された私は、その辺の座布団を枕にし横になっていた。 いくつかの荷物はおいてあったが、それでも私一人くらいは横になれる広さがある。 氷田は二部の準備で、私をここに案内するといなくなった。
「氷田君、ほんと優しいね〜。他意はありそうだけど」
友達がにやにや笑い出す。彼女はこういう話が大好きなのだ。
「私が中学の時、演劇部だったから興味があるだけ」
「そうかなぁ。氷田君は嫌い? そういえば、なんで演劇やってる人はダメなの? 氷田君なんか見るからにいい人そうじゃない」
急に真顔になって聞いてくる。そうくるとは思わなかったが、別に理由を言うくらい構わないか。それで、なにがわかるというわけではない。
「演技力のある人って...」




「あぁ、藤堂君。どこへ行くんだい?」
控え室に続く廊下で藤堂は教員に声をかけられた。
「ちょっと控え室に。お茶でも飲みにいこうかと思ったもので」
「もうすぐ二部始まるから、気をつけてね?」
「はい」
藤堂は微笑み、また歩き出す。 舞台裏ではばたばたと二部の準備が行われている。 この廊下にはいくつか控え室が並んでいるが、どの部屋からも声はしない。 藤堂は自分の控え室の前に立ち、ドアノブを握ろうとした。
「〜は嫌い?」
藤堂は自分の控え室から声がすることに驚いた。しかも女の声だ。 この控え室は男だけしか使っていないはずだ。と考える。
ゆっくりとドアを開けると、そこには見たことのある二人がいた。
(確か...澄川さん。と、図書委員の子か)
どうしてここにいるのかはわからないが、何か事情があるのだろうと藤堂は思った。 何となく入るのを躊躇い、そのままドアを閉めた。 もうお茶は諦めようと踵を返した。
そこに澄川の声が届いた。

「演技力のある人って、日常でも演技していると思ったことはない?」

ドアを背にしたまま、藤堂は動けなくなった。
冷や汗が首もと辺りに流れた。半刻ほどそうしていた後、藤堂は歩き出した。