「今日は有難うございました!!楽しかったです」
バスで来た友達は、わりに家の近い氷田と一緒に帰ることになった。私は電車で来たので、駅までの道を歩く。
「僕も電車だ。一緒にいいかな?」
その藤堂要の一言に、友達と氷田と別れて私は藤堂要と歩くことになった。この人目を引く人間と一緒に歩くのは、居心地がよくない。帰って、読みかけだった本を読むのを楽しみに私は歩いていた。
「ねぇ、澄川さん」
いつもと違う沈んだ声。私は歩みを止めた。風が吹いた。私の髪を靡かせ、藤堂要の頬を擽った。

「何で『演技力のある人が、日常でも演技している』と思ったの?」

動けなかった。やけに瞬きばかり多くなった気がする。
「ごめん。演劇会の日、たまたま聞こえてしまったんだ」
藤堂要の雰囲気ががらりと変わった、と私は感じた。
「何故...?」
一体、この言葉のどこが彼に引っかかったというのだろう。
「それを話さなくちゃだめかな」
高圧的な態度だった。いつも人当たりが良く柔らかな雰囲気を持っていたのに。
「話したくないんだ、そのことは」
彼は笑わない。いつも微笑を絶やさない彼が笑わない。唇が震えて、乾いていた。「なぜ?」と問 う声まで震える。藤堂要はゆっくりと溜息をついた。
「じゃあ、質問を変えよう。『君は演技をしている人がわかるの?』」
視界が揺れた。気持ちの悪さが胸から喉へこみ上げてくる。この人といると、私は思い出したくな いことを思い出さねばならない。
「わかりません」

わかっていたなら。

「そっか。ありがとう」
藤堂要はいつもの笑みを顔に浮かべた。
「僕がこんなことを聞こうとしたこと、誰にも言わないでほしい」
言うつもりなどなかった。言って何になるというのだ。
「はい」
「じゃあ、行こう」
藤堂要は微笑んで先を歩いた。私は俯いて、唇をかみ締めた。


『クスクス。そういえばさ、私、澄川さんって、暗くて苦手。いっつも本ばっかり読んでるし』
『えー。由美子、そのわりには仲良くしてるじゃん??』
『だって、かわいそうじゃない?』
『かわいそう?』
『教室に一人ですることないんだよ、きっと。友達いないみたいだし。私、そういうのほっとけないんだよね』
『ユミ、優しいじゃん』
『まぁねー。でも、話つまんないんだよね。最近のこと、何にも知らないんだもん。あれは絶対テレビ見てないね』
『そんなんいんの?』
『だから澄川さんがそうなんだって!』
その当時、クラスで一番仲の良かった由美子ちゃんの声が聞こえてきたのは、忘れ物を取りに戻った教室でだった。


「お願いします」
柔らかな声に友達がはしゃいでいるのを感じた。私はもう苦手を通り越して畏怖の存在になった声 の持ち主。
「この前は本当に楽しかったです! また機会があれば」
「そうだね」
Wデート以来、仲良くなったらしく藤堂要と友達は軽く談笑している。
「じゃあ、また」
けれど、Wデート以来、図書室にもあまり寄り付かなくなったし、話しかけられる回数も減ったと 思うのは私だけだろうか。
「要先輩、最近来てくれなくなったけど受験で忙しいんだよね。でも、先輩とデートできたから私は幸せ」
「よかった...ね」
そう思うのは私だけではないらしい。あの日の藤堂要はいつもの藤堂要と違っていたように感じた。それとも普段から藤堂要はああだったのだろうか。私がまた気付かなかっただけなんだろうか。


「澄川、この前はごめん」
「?」
「何か感情的になった。みんなで遊んでたのに」
氷田は私の机の横で俯いている。
「いい。別に気にしてない」
そんなこと考えもしていなかった。藤堂要はそれ以上に深い印象を私に残していってしまった。
「部長も謝るように勧めてたし」
『部長』
嫌な顔が浮かんだ。
「でも、楽しかった。今度は二人だけで行こうな?」
氷田は笑った。この笑顔の下にも何かが潜んでいるのだろうか。私はそんなことはないと今まで信じていたけれど。


「どうしてこの間あんなことを聞いたのですか」
放課後の図書室。意を決して藤堂要に声をかけた。洋書の並ぶ棚には、ほとんど人が来ないことを私は知っていた。
「...」
藤堂要という人物をよく見てみようと思った。確かにみんなで遊んだあの日、この人は今までとは違ってみえた。それが本当なのか。どうしたら内に潜ませている面を見つけることができるのか。それを知りたい。そうすれば、私はあんな失望を二度と味合わなくてすむ。
「君が演技をしている人間が見抜けないというなら、もう君に近づく理由はない」
藤堂要の瞳は、私を捕らえてはいない。もっと遠くの、何かを見ている。
「何故、それが気になるんですか?」
私は掌に力を込める。
「関係、ないよ。言いたくないことだと言っただろう」
拒絶。今までの藤堂要は絶対こんなことはしない。
「見抜かれると、困るんですか? それを周りに言われるから」
表情が変わった。
「踏み込んでくるね。今まで僕を避けていたのに、どういう心境の変化かな?」
藤堂要は近くにあった椅子に座った。
「怖いんだ。 僕はひどく臆病な人間だから。 僕を暴こうという君のその視線に震え上がるくらいにね」
藤堂要は自嘲した。
「...君は過去に何かあったの?」
彼はゆっくりと聞いた。
「話したくないことです」
この前の藤堂要のように強気で返す。
「僕はこれ以上、君と話すつもりはない。 僕の質問に答えないなら、これで会話は終わりだ。またこうして会話の機会をつくるつもりもない」
私は藤堂要を睨むように見つめた。藤堂要は少し怯んだようだ。
「僕と近づいても何のメリットも君にはない。だから、もう終わりだ」
「今のあなたが本物の先輩?」
「...どうだろうね」
藤堂要は苦笑して、席を立った。まだ、何にも。何にもわかっていない。私だって演技をしている人間を見破れるヒントが分かれば、一緒にいたいと思う人間じゃないのに。
「私にも知りたいことがある。だから、これからも話し掛ける。でもわかれば、私も貴方に用はない」
藤堂要は傷付いた顔をし、振り返った。
「知りたいこと...? それは僕といてわかることなの」
「わからない。貴方にとって私がいらない人間であったのと同じことかもしれない」
「なら」
「でも、違うかもしれない」
藤堂要は大きく、大きく溜息をついて本棚に寄りかかった。
「僕はもう図書室に来ない」
「じゃあ、教室に行きます」
「...。 そうまでして知りたいこと?」
「少なくとも私にとっては」
私がこれから何にも脅えずに過ごしていくためには。
「じゃあ、こうしよう。これからこの日この時間は君にあげる。だから、それ以外では近づかないで欲しい」
藤堂要の表情にやはり笑顔はない。
「わかりました」
「もし、その知りたいこととやらがわかったなら言って欲しい。もう来ないから」
「はい」
「じゃあ」
一刻も早くこの場から立ち去りたかったらしく、ささっと話を進めると、藤堂要はすぐに図書室を 出て行った。
一体、どのくらいかかるだろうか。私が掴めるようになるまで。もしくは、話していても分からな いんだという事実がわかるようになるまで。何度彼に会えばいいんだろう。