「おはよっ」
もう少し遅れてくるべきだったか? 藤堂要と並んで顔を赤らめている友達を見ながら、そんなことを思った。何を着ようか迷っていた彼女は薄く化粧もして、まさに気合い十分だ。
「おはよう」
「氷田君はまだ来ないみたいだね」
藤堂要がそう言っても、友達は興味を示さない。私服で更に惹きたてられた藤堂要の美貌が今日の彼女の一番の関心ごとなのだ。事実、こうして町の銅像の前で待ち合わせをしていると、男女問わず、それとなく藤堂要に目を遣っている。中性的だけど凛とした顔が魅了するのは、何も学校の人だけではないということだ。
「澄川〜!!!」
私の名を呼ぶ騒がしいのに、やれやれと肩を落とした。
「ごめんっ! 遅れたぁぁぁ」
「いい。私も今来た」
「よかったぁ」
しかし、このWデートとしか呼べない状況をどうしたらいいんだろう。しかも演劇を見なきゃいけないとは。この前のように体調を崩したら、いよいよ友達に怪しまれかねない。今日の彼女の、夢のような一日をどうにか私は死守しなければならない。今日が上手くいったときの彼女の笑顔は格別だろうから。


少し鬱な気持ちになりながら、劇場に入ると、友達 藤堂要 私 氷田 の順に座った。氷田は廊下側がいいだの、ここは見にくいだの言って、席を変えようとしたが始まりのブザーに話は流れてしまった。
藤堂要が知っていてチョイスしたのか、全く知らなかったのかはわからないが、この劇は私の好きな劇だった。前に見たときは他の劇団がやっていたが、話の展開が好きで目をキラキラさせながら眺めていた。チケットを渡してきたのが藤堂要でなかったのなら、もしくは最初に友達に誘われていたなら二つ返事で了解したかもしれない。でも、この前みたいに急に具合が悪くなるとも限らない。ひとまず大きく深呼吸をした。
「澄川さんはこの劇見たことある? そういえば、聞かずに誘っちゃったなって思って」
「あります」
「どうだった?」
「好きです。そのときは他の劇団がやっていましたけど」
「やっぱり中学のときはたくさん劇を見に行ったりしていた?」
「...はい」
「今は?」
「うちの学校の定期演劇会だけで十分です」
無理やり会話を打ち切るような形で私は前を見た。隣には友達が居るのだ。いくら私が元演劇部だからといって、話し掛けることはない。
「澄川!」
「ん?」
「楽しみだな」
「そう...だね」
氷田はなんだか嬉しそうだ。こういう姿を見ていると、やっぱり演劇部の部長なんだと思う。思えば、私は演劇部の元部長と部長に挟まれて演劇を見ることになる。皮肉なものだ。


舞台が始まってしばらく、私の具合への不安を吹き消すぐらいに魅力的な空気が私を包んだ。もともと好きな劇だということもあった。でも、それ以上にこの劇団員たちのつくる劇の雰囲気がとても私好みだったのだ。何で中学のときから知っておかなかったのだろう。そうしたら、もっとたくさんこの人たちの劇を見ることができたかもしれないのに。とても惜しいことをしたような気がした。
素直に、誘ってくれた藤堂要と友達に感謝したい。


藤堂は何気なく隣の少女を見つめた。劇を経験していた彼女はどんな顔で舞台を見るのだろうか。そんな気持ちからだった。
そうして、藤堂は息を飲んだ。
隣の少女は自分の視線にも気付かぬくらいに舞台に集中していた。頬を紅潮させ、目を輝かせて。 それは藤堂が初めて見る少女の顔だった。少女はいつだって何かを諦めてしまった態度と表情で寂しげな雰囲気を漂わせていたのだった。しかし、今ここにいる少女は生の光をその額いっぱいに映しているのだ。
藤堂は目を奪われた。そして、自分と同じように彼女に惹きつけられている視線と目が合った。彼は藤堂がどういう想いで彼女を見つめていたかに気付いたのだろう。鋭い視線をぶつけてきた。藤堂はこの前の図書室での会話を思い出し、そっと彼に微笑むと、舞台に視線を移した。氷田も藤堂と目が合ったことでばつが悪くなり、席に座りなおした。


「面白い劇でしたね、要先輩!!」
「そうだね」
半歩前を藤堂要と友達が歩いていく。まだ興奮が冷めない。私は胸に手を当てる。こんなに胸が高鳴ったのは久しぶりだ。
「楽しかったな〜。澄川も集中して見てたみたいだし?」
「うん」
私はこっくり頷いた。
迷わず買ったパンフレット。機会があれば、またこの劇団の劇を見に行きたい。
と、自分のうちにあの時のような瑞々しい気持ちが戻ってきていることに気付いた。中学校の時の、あの演劇が楽しくて楽しくて仕方がなかった頃の。


「パンフレットも買うなんてな。やっぱり澄川、演劇好きなんだな」
氷田が笑った。 私はそんな氷田の顔を見た。
彼と会って、藤堂要と話すようになって、私は避けていた演劇にまた触れることになった。これが重なっていくうちに中学の時のような日々に戻るのだろうか。

そして、また失望するんだろうか。

暗い影が私の心の裏側を滑っていった。それは、あの定期演劇会で具合が悪くなったときに似ていた。
「澄川さ〜。一緒に演劇やろうよ」
「だめ」
「え?」
「それだけはだめ」
私は氷田を追い越して、友達の隣に並んだ。だめだ。だめだ。彼らに会って、私は同じことを繰り返そうとしている。
「あ、す〜。 そうそう、この後どうする? もう解散??」
友達は有頂天らしく、頬が緩みっぱなしだ。
「ちょうどね、要先輩とそれを話していたとこなの」
折角、休日に藤堂要と会えたのだ。友達がこれで別れたいわけがない。
「す〜? 元気ないの??」
友達が不安そうに顔を覗き込んできた。
「そんなことない。どこかに寄る?」
私の提案に満足したようで友達はにっこりと笑った。
「す〜もこう言っていますし、どうですか? 先輩」
「そうだね。近くのファミレスにでも入ろうか?」
不安が拭えない。また、また、繰り返すのだろうか?
私はこのまま彼らといていいんだろうか?


「僕はアイスコーヒーで」
「私はチョコパフェvv」
「俺は...山盛りポテトフライとドリンクバー!!」
「す〜?」
「えっ、あ」
考えて、考えて。そうしているうちに何時の間にかファミレスの席に座っていて。
「ウーロン茶」
ぽつりとそれだけ呟くと、店員さんは「以上でよろしいでしょうか?」と藤堂要に尋ねた。
「大丈夫? す〜?」
「ごめん。あんまりにも良い劇だったから」
「そうだね。本当に」
「確かに」
「誘ってくれてありがとうございました」
友達と藤堂要に会釈する。
「す〜は演劇が好きなんだね〜。誘ってよかったよ」
「うん。ありがとう」
運ばれたポテトフライを頬張りながら、氷田が私を見た。
「そんなに好きならやろうよ、一緒に」
私がさっき強引に断ったせいだろう。氷田は少しむくれているようだった。藤堂要も友達もいる所で強く断ったら怪しまれる。私はどうしようか思案した。
「無理強いしてまで入れることはないんじゃない?」
氷田の様子に気付いた藤堂要はそう言った。
「....でも」
氷田の機嫌が益々悪くなり、空気はどんと重くなった。
友達は居た堪れない様子で水を飲み干した。
「何でそんなにやりたくないんだよ」
氷田がぶつぶつと小声で喋りだした。藤堂要は笑みを絶やさぬまま、言った。 その言葉に氷田は何かを思い出したらしく、黙り込んだ。そこに、友達のパフェも運ばれてきて、話はそのまま流れていった。